日本大学 医学部 医系小論文 2011年 模範解答
ここで遠慮は,単に自分の気持ちを抑えるということだけに用いられている。それに対して,配慮は,まず自分が置かれている時や場所を意識している。その上で,自分の気持ちをどのようにして,相手へ伝えるかという作戦を立てた上で,その気持ちを適切な表現で言うという違いがあると考える。そのため遠慮は,感情を抑え,我慢するとなるが,配慮するとは,自分の感情をコントロールし,ふさわしい時や場所で適切な言葉で表現するということになる。
また私は意見の異なる相手と話し合う際の工夫として,まず自分から意見を話すのではなく,相手から先に意見を聞くことをできるだけ心掛けている。そのメリットは三点ある,一点目は,相手から信頼を得ることができる。二点目は,相手が何を求めているのかを知ることができる。三点目は,自分が,相手との違いに気づくことができる点である。もちろん,デメリットも二点ある。一点目は,意見を聞くことが同意をしてもらったと勘違いされることがあるかもしれないということ。二点目は,どうしても時間がかかってしまうことである。
ただし,こうしたデメリットを踏まえても,相手側の話を先に聞くというメリットは,とりわけ現在の医療従事者にとって,欠かせない。それは,単に専門家としての意見を一方的に述べるだけでは,どうしてもパターナリズムや勘違いに陥りやすいためである。そもそも,患者の自己決定権を尊重するためには,ヒヤリングを欠かすことはできない。また,昨今の医療現場を取り巻く厳しい環境の中では,患者の意思を尊重した,適切なインフォームドコンセントを欠かすことができない。だが,どうしても時間がかかるというデメリットを考えた際,相手の意見を充分に聞くことが難しい場面も存在するだろう。その際には,配慮ある一言が大事である。そうすれば,少なくとも,相手の感情を害さずに,適切な話し合いができるように思うからである。(798字)
今回の文章に関しては,パターナリズムへの反対と自己決定の尊重,インフォームドコンセントへの賛同という王道な路線で,記述しているが,例えば,内田樹氏の著作などを読めば,そうした点への反対の論述が見られるため,参考にしても良いとは思う。例えば,自己決定権に関して『下流志向』P117〜P121の箇所など
こうした文章に関しては,自分できちんと理解して,自分なりの批判点を見出した上で,使う場合ならば,構わない。しかし,通常の高校生であるなら,パターナリズムへの賛成 自己決定への反対,インフォームドコンセントへの疑義といった論述は,下手に書けば,危険な意味の通らない0か100かの綱渡りな文章となるため,よほど考える力や文章力がある方以外,オススメできない。
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