2013 日本大学医学部 小論文 模範解答
筆者は,まず,自分の言葉という意味として,自分の書こうとしていることばが表現したいことを正確に伝え得るかどうかということを念頭に置いている。こうしたことを考えていく中で,筆者は小説文章のある種の真理として,最も端的に表現できる語句は小説の文章に向いていないということに思い至る。というのは,そうした語句が思いつかず,別の言い方で意味の周辺をぐるぐる回っているような文章こそ,小説の面白さであるという気づきを得たからである。
そのことを踏まえ,筆者は辞典がない時代に書かれた言葉は,自分だけの言葉として表現したいことを表現をしていると指摘している。だがその一方で,どうしても読み手には,正確に伝え得るという点は抜け落ちてしまう。というのも,言葉は相手に対して理解される文脈で伝えない限り,相手に正確に伝えることができないためである。例えば,これはジェスチャーゲームのようなもので,,相手側にそうしたジェスチャーを読む解ける能力がない場合には,その意味を捉えることはできないためである。またこうしたジェスチャーがわかった際の快感というものが,文章の小説の面白さとして存在するのだろう。読み手側からすれば,辞書がない時代に書かれたこうした文章は,意味の周辺をぐるぐる回っているような感覚を与えられる。そうしたことから,筆者はこのことが小説の面白さを表現していると考えたのだろう。以上のようなことから,こうした文章が真に自分の文章と言えるのではないかと筆者は指摘しているのである。だが,筆者はその後の文章において,こうした考えをやはり自ら,馬鹿なことを言ったとしている。そもそも辞典によって,言葉の意味の存在に気づいていなければならない。そうした上で初めて,意味の周辺を回ることができるとわかっているためである(753字)
ちなみに,言語への深い理解をしたいなら,
佐藤信夫『レトリック認識』がオススメです。
せっかくなので少し引用を
『ちょうどからだのなかのどこかに名状しがたい(医師に質問されたとしてもなかなか適切な説明のむずかしい)痛みやいらだちを感じているときのように,人は,心の奥底に,ひそやかな思いをいだいていることがある。それは容易に言葉になるものではなかろう。にもかかわらず,ことばにしてみければ自分でもじゅうぶんに納得できるものではない。そういうとき,ふと,ほとんど幸運な偶然のようになる適切なことばを思いつき,ほっとすることがある。それこそ自分だけのことばだ,と感じることがある。』
この問題とよく似ているので,ことばに興味がある方は読んでも面白いけど,まあ大学入ってからって感じです。
ちなみに,こうした問題の出題の背景にやはり医師の患者への説明能力という点は問われていますので,できるだけ平易(簡単で優しい)な書き方を心がけることが良医の道かと思われます。
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