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広島県立大学 国際文化学科 推薦入試 2015年  模範解答

広島県立大学 国際文化学科 推薦入試 2015年  模範解答

問題1 (賛成の立場から)

私も,日本においても大学教育は,ミルが主張する一般教養教育を大事にしていくべきであると考える。その理由は,大学卒業後に,広く社会に寄与できる人間の根幹となる価値観を形成できるためだ。そうした価値観を形成する基礎としても,言葉についてより学んでいくことが必要である。言葉については,本文にも指摘されているが,自国以外の言葉を知って初めて,自分についても知ることができるようになるためだ。だが,日本と英語の言語に関しては,政治的な文脈の相違点が存在する。それは,英語といったヨーロッパ言語が,ラテン語を基礎とし,その素養の習得に歴史的な断絶はない。またラテン語は,欧米圏で一般に習得されて続けているという文化的土壌がある。それに対し,日本語の場合は,歴史的に中国語の漢字が基礎となるが,明治維新後の欧米文化への傾倒から,漢字文化に対する断絶があることも留意しておくべきだろう。もちろん,文化としてどちらが優れているということではなく,このことは,極めて政治的な事情からである。それ以外の共通点として考えるべきは,国は違えどイギリスや日本の大学においても求められるのは,実用的な教育ではなく,一般教養を大事にすべきという点だろう。一般教養の学習こそが,価値観を形成する大きな土台となるためだ。以上のことから,大学教育は,今後も温故知新に,古い知識から,新しい価値観を形成し続けるべきだろう。(593字)

別途 問題2もありその字数も400字となるため
正直,通常の現役生は戦略的に,この課題文の読解に時間をかけてはいけません。
だいぶ例外的な作戦です
むしろ流し読み,いっそ問題から,答案を作成するくらいの意識で挑むべきでしょう。
そういう意味では,ボケモンならぬ,アクモンのタグイやも知れません。ちなみにダイモンはソクラテスです。

軽い疑義提起

小論文の問題文や問題に関してですが,できる限り賛否両論ある課題であるべきでしょう。
(私立なら思想的にこうなのでと反論できる余地は大きいですが,国公立は特に)
今回の出題文の題材は,ある意味で,昨今の大学改革の中で大学教育という自らが政治的な当事者であるという立場を踏まえた際に,この文章に対する反論を述べる行為が,ある意味で踏み絵化するのではないか?と邪推したくもなる可能性も出てくるため,少しテーマを留意すべきではないのかなぁと思う論題な気がします。
もちろん,昨今の文系の軽視の風潮下で,文系の学部で文学的な内容を学ぶ人間が,自分たちの学ぶ学問についてのアイデンティティをきちんと述べ,反論できなくてどうするのだ?という見方もありますが,それなら,そういう平易な文章でいっそあなたの意見を述べなさいくらいでも妥当な気もします。まあ,これくらい読めないとセンター試験がないので,国語力を担保できないという見方なら多少理解できなくもありませんが,,,けど理解できないかな。
おそらく,単純に読解に時間を取られすぎ,残念な答案が量産される生徒が多かったのでは,という気が・・します。

反対の論述<意地悪だけど,意地悪な自分がそこに,,参考程度に>
私は,日本の大学として,より実用的な方向に大学教育を進めていくべきであると考える。

(と書いた時点で,演繹的に,いやじゃあ,君はうちの大学でこの学部じゃなくていいよねという自己矛盾が発生し,説明する可能性を秘めるという恐ろしさ)<そのため,社会全体として俯瞰的に述べる姿勢を貫徹しよう>

その理由として,英国でも一般教養とは,そもそも限定された社会的なエリート内において持つことが,当然視されている特殊な技能とみなすべきである。また,日本の文脈での,広く誰しもが持つべきだという一般教養の言葉そのものが,ある種の誤解であった可能性が高いからだ。とりわけ,社会階層の問題から捉えた際に,大半の大学が提供していくべきは,より実用的な社会に役立つ知識や技術である。そうした大学での学習から,自身の技術習得を通じて,社会階層を向上させる知識や知恵を習得すべきだろう。大学は,土台や基盤作りをするという声は聞こえはいいが,日本型の社会と分断された社会状況下では,どういった基盤が作れているのか,という具体性が欠けている。そのために大学教育は,技能や知識の習得の結果,社会階層の向上を通じ,次世代において,やっと一般教養が必要なエリート教育の受け手となる可能性を秘めることができるためである。
戦後の大学教育というのは,本質的に,少数者のエリートに向けられた教育を過度に一般化し,大学数を拡大化した。そのため,モデルとなった価値規範や理念が希釈化し,その設置意図も明確ではなかった。現在において,多分に大衆的な価値観から批判にさらされている面もあるが,実用性を意識した大学改革が進んで行くべきではないだろうか。(600字)<を除く>

とこのような反論を書いてみましたが,個人的には,教養大好きなので,全くもって個人的な見解ではありません。
まあ,ただですね,こうした反論をいきなり書ける子がそうそういないので。問題が辛いわけです。
今年度の推薦入試は良問でありますように

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